対人恐怖症だった私が接客バイトを始められた

あがり症を発症したのは中学生の頃

私が初めてあがり症を発症したのは中学生の頃でした。好きな人ができて、同じクラスでした。英語のスピーチをみんなの前でした時に急に顔が引きつり声も震えて途中で先生から「はい、いいですよー」と止められてしまいました。

それから音読やスピーチ、自己紹介が大の苦手になりました。でも授業で当てられさえしなければ大丈夫で、高校生までは明るくておちゃらけて、スポーツ万能なクラスの人気者でした。

社会人になり、朝礼で1分間スピーチが月に一回くらいのペースで回ってきました。あがり症は全く治ってなく、毎回1週間前から憂鬱で、スピーチは声は震え顔も痙攣し、課長から「Mさんはあがり症なの?」とニヤニヤしながら言われ、それもトラウマになりました。

結婚退職でしたが、ほぼスピーチが嫌だという理由で辞めた、逃げたとも言えます。結婚式では誓いの言葉があり、その教会は「誓います」だけじゃなく結構長い言葉を言わないといけなくて(忘れましたが)それもブルブル震えてしまって、みんなには泣いてたと勘違いされてました。母親への手紙はあがり症という理由でやりませんでした。

心療内科は依存が怖くなりやめた

その体験で結婚してからも自分を毎日責めていました。私はなんでこんなにだめなんだろうと。普通の人が普通にやってることがなんでできないのか。恥ずかしいと。明るかった性格もどんどん暗くなりました。結婚生活は逃げでした。子供を産んだのも逃げでした。

しかし子供が幼稚園に入れば、保護者会などで喋る機会がよくあります。もう逃げられません。頑張って行きますが、毎回ブルブル震えながら喋り、ママ友もできませんでした。小学校に上がっても毎回保護者会で震え、自分を責めるの繰り返しでした。

中学生になった時に役員に選ばれ、もうどうしようもなくなり心療内科に通いました。社交不安障害ということで薬を処方されました。それが効いたので役員仕事はそれで誤魔化しました。高校生になりまた役員になりました。このまま薬を飲んで依存してしまうのが怖くなり、薬は途中でやめました。

受け身になっていることに気付いた

5年ほど前に買った金光サリィさんの本をふと読み返してみました。読んだだけで光が射したように気持ちが明るくなりました。1ヶ月ほど本を実践して下の子の保護者会に臨んだのですが、恐怖は消えず震えてしまいました。

上の子の保護者会がすぐ近くにあったのでセッションを受けようと申し込み、受けました。2日後に保護者会だったのですが、日数が足りなかったのか震えてしまいました。もう一度ライン通話でサリィさんと話して、自分が受け身になっていることに気づかされました。

本番数日前から恐怖心がなくなった

絶対やってやる!!勝ってやる!!という気持ちが大切だと。あと顔が痙攣するのは口角をあげようと口元に集中するからで、目元を意識する、手品師みたいに企んだような笑顔を目で表現するというのを毎日実践しました。

不安な気持ちが来たら、サンシャイン池崎ぐらいテンション上げて、一人で空前絶後の〜!!ジャスティス!!と盛り上げてました。どうしよう?という気持ちが来たら森泉みたいに軽く「大丈夫大丈夫!できるよー!やっちゃえー!」と言いました。

でもたまに恐怖に襲われて、ぐるぐる考えて眠れなかったり食べられなかったりする時もありました。でも本番の数日前からは恐怖がなくなっていました。当日は待っている間も早く喋りたいとまで思っていました!自分で進んで質問もしました!緊張ってなんだっけ?くらいでした。

一言喋るだけでドキドキ震えてた私が?自分が一番びっくりです‼️よっしゃーーーー‼️‼️って大ガッツポーズをして自分を褒めまくりました‼️次も早く来い‼️という気持ちです!

対人恐怖症だった私が接客のバイト

セッションを受けたあと、今まで何だかんだ言い訳して躊躇してたバイトの面接も受け、接客のバイトも始めました。対人恐怖症だった私が接客のバイトです‼️これも信じられません‼️人生がもう一度スタートしたみたいです。

あがり症という理由で、なにするにも言い訳してやめて半分引きこもり状態でした。前向きな言葉を使うようになって、家族も見違えるように明るくなりました‼️子供の可能性も狭めていた気がします。やっと、色んなことにチャレンジしていく勇気が出ています‼️人生これから取り戻す気持ちで何にでもチャレンジしていきます‼️

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